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夏の電車は臭い 

また今年も、この季節に。
梅雨です。
不快です。
あなたもそうでしょう。

さらに、不愉快です。
そうです。
不快とは別に
不愉快な季節でもあるのです。




今のところは大した雨は降っておりませんが
湿度は90%を超える日も出てきております。

そんな、湿気の多い日がしばらく続いていきます。

そうなると何が起きるか?
いや、既に起きています。

そうです。
臭い人が増えるのです。
クサイです。

どういう事か、ちょっと噛み砕きましょうね。

体臭をお持ちの方の事ではありませんので
この方については置いておきます。




問題は、部屋干しの生乾き系の臭さ。
問題は、この時期に2日以上着ていると思われる
いわゆるYシャツの汗臭さ(厳密には、雑菌臭)。


これら強烈な臭いは電車内で周囲半径5mに及びます。

動きたくても動けない。
なぜ、ここに乗り合わせてしまったのか。
息を止めながら後悔を繰り返す自分。
次の駅までの辛抱だと、自分に言い聞かせ
ただただ、停車するのを待っている。


これだけクサイのだから、ニオイの元は
あっ!失敬。
ご本人は気付いていると思うのだが
確かめようは無い。

それとも、認識はあるが仕方が無いと
諦めているのだろうか。
もしそうなら、どうか諦めないでいただきたい。
改善の為に出来るアドバイスをすることは
やぶさかではないからです。


耐え難きニオイを発生させているご本人は
ニオイが出ない方法を知らないのだと思う。

つまり、クサくなる原理原則を
理解していないのだ。
決して、鼻が悪い訳ではないだろう。

つまり、雑菌が発生しないような洗い方を知らない。
雑菌が発生しない洗剤の存在を知らない。
そもそも、洗剤を使っていない。
十分干していない。
等など・・・

また、雑菌臭を絶たずに柔軟剤の香りで誤魔化しているのも
最悪だ。
なんとも、奇妙なクサさである。

汗が乾いたからと、雑菌がわんさか居るYシャツを
着てしまい、更に汗をかいて雑菌の温床に
貢献してしまう事を
知らない。



クサイご本人の心掛け次第で
いくらでも改善出来るのにやらない。
或いは、やろうとしないのは罪でもあるとさえ
思ってしまう。

もっと言えば、取り締まって欲しいぐらいだ。

根拠法は何だろう?(笑)


やはり、公共の場において
臭いニオイを発している事は
人様への迷惑行為だと思う。

もしも、これを読んで心当たりがあれば
今すぐ、ネットで調べて改善して欲しい。




ご主人が会社でクサイと思われて良いのですか?奥さん。

学校の友達に、影でクサイと思われる息子を
可哀想だと思いませんか?お母さん。



自分のニオイだから自分では気にしない人も
中にはいるでしょう。

でも、公共の場です。
人様の為に改善しましょう。




クサイ臭いを発している人でも
良い人なのかもしれません。

しかし、あなたが軽んじている
たかがクサイ臭いで
あなたの事を敵対視する気持ちさえ
周囲に抱かせてしまう事を知って欲しいのです。



気をつけましょう。
回りが言わないのは、言いにくい事だからです。
クサイあなたにも気を使っているだけなのです。

もっとニオイに敏感になりましょう。
公共の場におけるマナーでもあるのですから。



こんな話にお付き合いいただき
恐縮でした(笑)


これを読んで
少しでも清潔な人が増える事を祈っています。


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タグ: ニオイ 公共

不幸な事件とは?歩きスマホの危険性 取り返しがつかない 

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人が亡くなる原因は様々
天国が人員不足なのかと思わざるを
得ない亡くなりかたは、悲痛でやるせない。

この女子中学生も、そんな一人だと思う。
慎んで御冥福をお祈りしたい。

「場所」+「行為」=「結果」
こんな図式が浮かんだ。

今回の悲劇に落とし込むと
駅ホーム+スマホ操作=悲痛
でも「場所」が家やカフェであれば悲痛を呼ばなかった。

また、「行為」がスマホではなく
友だちとのおしゃべりだったら悲痛を呼ばなかった。

毎日のようにテレビや新聞から悲痛が聞こえてくる。
ネットならば、悲痛にでさえアクセス出来る。
知る事や理解する事を
いくらでも出来る。

「人の振り見て、我が振り直せ」
親から言われた事が、あなたにもあるだろう。

人が行っている事の良し悪しは別にして
それを見た自分の判断により
良い事は真似するも良し
良くない事と判断した事は行わない。

つまり、他人の行為を客観的に俯瞰することで
自分で学べよ、と解釈してきた。

「シミュレーション」
何かを行おうとする前に
予めイメージする事。
どうしたら、こうなる。
こつなったら、ああしよう。

自分を取り巻く環境には
常に良い見本と悪い見本がある。

毎日は常に判断に迫られている。
判断とは何も、おおごとばかりだけではない。
他人から見たらどうでもよいぐらい小さな事さえ
判断は常に要る。

この判断の中に
「シミュレーション」や「人の振り見て・・・」を
あらためて見直す事の必要性を感じた。

自分を取り巻く環境に溢れている多くの情報を
自分のために、いかにどれだけ生かせるのか。

結局、自分を守るのは誰でもない
自分だけ。

今回の件で、あなたは何を感じましたか?
自分にどのように生かしていくかを考えて
これからは自分はこうしていこう。
などと、考えたかもしれません。

そのように考えた事なんて無いよ、今まで。

もし、あなたがそうであれば
「人の振り見て、我が振り直せ」
の意味を考えるきっかけとなれば嬉しい。

今回の悲痛とは少し違いますが
ふと、浮かんだのでついでに。

「怪我」。
けが。ケガ。
そうです、みんなした事がありますよね。

この漢字を見ると
あやしい、われ。となります。
あやしい、自分ということです。

そうです。
自分が怪しい時にするものを言うのです。

意識出来ていない時や、動作が不確かな時などの
自分が怪しい時、落とし穴が待っているかもしれない。
自分を守るために考えてみる事をおすすめしたい。

決して
対岸の火事とは思わない事。

「まさか自分には関係無い」と思わない事。



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人ごとと思わない事
自分の為に
そして、あなたの親御様の為に・・・


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自信を得たいなら、すべき事とは? 

ブログを立ち上げ4日目。
三日坊主をクリア(笑)
そろそろ
テーマを決めて書いていこう。


始めやすいかなとぁ?と思ったこのジャンル。
ところで、雑感って?

「雑感」
あらためて意味を調べてみた。
「様々のまとまり無い感想。」

だめだよね、まとまりがないと。
今更ながら、このジャンル選定に後悔か。

一つのテーマを決めて
これに沿って書いていくのか?
それとも、毎日テーマを変えながら書くのか?
どっちが合っているのか、まだわからない。
まっ、いいっか。そのうちわかるだろう。

まとまりの無いところから
テーマを生み出し書いていくのは
なんかカッコイイかなとも思っている。
「無から有を生み出す」的な。




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正解がわからない今は、いくつかの「球」を投げてみたい

こんな気持ちが強い。

思っているのは
かっこつけずにアドリブ的に
思いつくままに書いていくこと。

なんて言いながら、頭の整理をしています(笑)
「ブログ脳」・・・今、頭に浮かんだ。

なんか、名詞として響きがいい。検索してみよう。
今日右往左往して書いてきた思考は
「書くという出力」をするために
脳内で行われている整理なのだとか。

そうか、人間の本能行動を体感したわけか。
そう思うと、結果残せた感が湧いてきた。
今日は今日でこれで良かったのだと思えてきた。
いや~、ブログって奥が深い行為なのかもしれない。

何かについて自分で動いてみて
何らかの収穫を得るという事は
自分に自信を付けることになる。
やっぱり「自信」って大事だよな。

自信を付ける方法って他に何があるのだろう?



・・・つづく


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好奇心と勇気に必要な・・・とは? 

ブログを立ち上げて3日目。
ブログ立ち上げ「何日目」というパターンで
しばらくいってみる。
昨日までの自分を応援していくために・・・







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持っていますか?勇気を

あなたはお持ちだろうか?
毎日続けている事を。
続けている感覚、続けようとする気持ち。
これらの源泉って何だろう。

やる気?
根気?
プライド?
強制?
努力?
好きだから?

・・・まだまだ他にもetc



どれも正解のようで正解ではないと思えてしまう。
このスッキリしない感は何だろう。
要素が一つの人もいれば、複数絡む人もいるのだろう。

毎日続けているものがある人は、そのこと自体が目的なのか?
別の目的に繋げるためのプロセスなのか?
それとも、着地点が見えないまま
続けている状況に満足しているだけなのか?
第三者から見ればどれも同じように映る。

そうなると、毎日続けているものがある人の源泉は
他人からはわからないということになる。
つまり、毎日続けているものがある人の源泉とは
主観にすぎないということなのか。

「主観」
あらためて調べてみた
「自分ひとりの物の見方や感じ方によるさま」

これって、続けている人の「さじ加減」ってことか。
そうであれば、かなりいい加減に聞こえる。
このフワッとした感覚で
毎日の自分を突き動かすことができるのだろうか。
いや、おそらく出来ない。

では、毎日続けているものがある人は
上で挙げた、どの要素によるのだろう。


「好きだから」

人間は本来、楽しいことや楽な方へ流れる生き物。
つまり、人間の本能レベルが毎日続けられるか
否かを決めるのだろう。

毎日続けているものがある人に
好きだから続けるのかと聞けば
迷わず一言で、「当然です」
と返されることでしょう。


でも、微塵でも「当然です」と
返すことができないとすれば
それは何故かを自分に問いかけるために
一旦立ち止まることが必要なのかもしれません。

だって、本能だから。

毎日続けるのは、楽しいから。
毎日続けるのは、好きだから。
このように思えることを一つでも多く持てたら
毎日が更に面白くなっていきそう。


私の毎日続けるものに「ブログ」が入りました。

もし、毎日続けるものが無い人が
何か探しているのなら
はじめてみると良いかもですよ
ブログ。


意外とないもの・・・とは
好きで、楽しいから毎日続けているもの。
もっと早くはじめていれば良かったと思えるのは
はじめた人だけが感じられること。

はじめるって、「最初の一歩」の事。
ちょっと、眼を閉じてみてください。
そっか、閉じたら読めないですよね(笑)
では、イメージしながら読んでください。

目の前に大きな岩があります。
これをあなたは動かそうとしています。
どうしますか?

顔を真っ赤にしながら
渾身の全力を岩にぶつけますよね。
おめでとうございます。
岩は動きだしましたよ。

しかし、もっと転がす必要があるのですが
岩は動き始めたので
最初ほどの力を入れなくても
岩は加速するように動かすことができました。

このケースでは最初のひと押しになりますが
最初の一歩でもなんでもよいのです。

大事なのは「最初の・・・」ってところで
アクションを起こせるかどうか。


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このブログも、「最初の・・・」を終えました

はじめてみることで
「見えてくる事」や「知る事」が自分の為になる。
今後、どんなことが見えてくるのだろう?


・・・つづく


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タグ:毎日 最初

初心者とは新しい事をはじめた人を言うが、では・・・ 

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ブログを立ち上げて2日目。
おとといより昨日、昨日より今日。
このブログに関わって行くほどに
初心者という言葉が薄れていくのだろう。

当たり前に使っている言葉、「初心者」。
あらためて、意味を調べてみた。

「その道に入ったばかりの未熟者。習い始めや覚えたてを指す」

ってことは、一生初心者って人はいないということになる。
当たり前に出来ているあらゆる事も、最初があったわけだから。
いつの間にか、慣れて当たり前になっていく。
つまり、人は何事も初心者から始まっている。

数をこなし慣れることで
いつしか初心者という言葉が似合わなくなっていく。
それだけ人は、環境や状況に適合する器用な生き物であり
その能力を皆が秘めている。
たぶん、自分も(笑)


◆車の運転
・・・経験は大概、走行距離に比例する。

◆入社して覚える業務
・・・経験は大概、失敗の数に比例する。

◆彼女、または彼氏とのデート
・・・なぜか、イメージトレーニングや予習を
しっかり終えている人はたまにいるが
初恋は大概実らず、経験は中身に比例する。
                
◆料理。もちろん作る側のこと
・・・経験は、誰かの為にという思いに比例する。

◆パソコン操作
・・・経験は、どんだけ困った状況に追い込まれたかに比例する。



新しい事をはじめれば初心者。
ならば初心者は
新たな事への「挑戦者」と読み替えることができる。

このように少し見方を変えると
初心者もなんだかカッコイイ。
そう思えてくるなら
進んで初心者にどんどんなっていこう!

あなたは今年、何か新しいことをはじめましたか?
「挑戦者」になっていますか?

初詣で、自身の心に宣言した事を
やれていれば良いのですが・・・
でも、やれていなくても大丈夫。
はじめれば良いだけだから。


はじめることが出来ない人は
初心者にもなれない。

初心者って、はじめていない人よりも
既に一段上の階段にいる人のこと。
そして、段々と登って行くから差が開く。
一歩踏み出せば、ゴールに一歩近づくというのを
聞いたことがあると思う。

ほら、挑戦者になりたくなってきたでしょ?

昨日からブログをはじめた自分は「挑戦者」になりました。



・・・つづく


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仕掛け 

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ブログはじめました

ブログをはじめることが出来た。
ブログの存在を知ってから久しい。
芸能人がこぞって初めているのは知っていた。
そして、何かに詳しい素人が発信するもんだと思っていた。
そんな感じで横目に見ながら数年経過。

そして、こんな自分もブログをはじめられた









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世の中って、仕掛ける人と仕掛けられる人。
たとえば、企業と消費者。
全体から見れば、ほとんどの人が仕掛けられる側にいる。
自分もそうだし。

便利だと思って使っているものは全て仕掛ける側により
編み出されたもの。
仕掛ける側のメリットは何か? それは収益。
では、仕掛けられる側のデメリットは何か? 支出。

生まれてから身の回りにある様々なものを
いちいち「これ便利だなぁ~」なんて言いながら使わない。
当たり前に存在しているもの。ただそれだけ。

仕掛けられる側にどっぷり浸かっているのが毎日の生活。
あまりに、どっぷり浸かっているから当たり前に思い
仕掛けられているなんて思わない。

だから自分の立ち位置を疑う意識など持たない。

アルバイトを始めたぐらいから、仕掛けるという意味が
わかってくる人が出てくるのかもしれない。
こういう人は勘が良いのだろう。
大体は就職してから自らが属したところが提供している

何らかの仕掛け(収益をいただくことができる全てのサービス)
について認識し自らの使命が仕掛ける事と知っていくのだろう。

街を歩いていると見ているだけで楽しくなってくるほど
魅力的な商品やサービスが溢れている。
だから楽しく、美味しい思いもできる。

でも、これらは全て、サービスという名の仕掛け。
仕掛けだから、当然の如くこれを享受するには支出が必要。
だから、支出できる能力を持ち合わせていないと
なんにも享受できないことになる。

支出できる能力を十分に持てれば世の中の仕掛けの
ほとんどを得られることになる。
既に十分な能力を持っている人を除き
多くの人は十分に持っているとは言わないだろう。
これが、仕掛けられる側の立場。

このままずっと、仕掛けられる側に居続ける
ことができるのなら楽しいだろう。
しかし、居続けられると言い切れるだろうか。
これが、仕掛けられる側の限界。


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仕掛ける側と仕掛けられる側。
どちらが優位なのかと問われれば
仕掛ける側と答えるだろう。
でも、そのように答えることはできても
仕掛ける側に回ろうとしない。

なぜだろう?


・・・つづく


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タグ:仕掛け
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